安い割引 《CB2》ORNADO SMALL テーブルランプ/照明 LAMP TABLE BLACK 照明
安い割引 《CB2》ORNADO SMALL テーブルランプ/照明 LAMP TABLE BLACK 照明
73099099-18582-uvG
19,520円 35,490円
《CB2》ORNADO SMALL BLACK TABLE LAMP テーブルランプ/照明(73099099)

ブランド CB2

ORNADO SMALL BLACK TABLE LAMP
大人気のCB2のテーブルランプです。

三脚のようなシルエットは、ニコラス・オベイドのデザインで、ブラケットのディテールがホワイトリネンのシェードを包み込むように広がっています。小さなテーブルランプは、シンプルなフォルムに磨き上げられたラッカー仕上げでランプは柔らかい光を放ち、どんな空間も温めてくれます。

キッチン、リビング、寝室などどのお部屋でもお部屋をデザインできるアメリカで人気の輸入家具ブランドCB2の輸入雑貨です、お一つ飾るとお部屋の雰囲気が海外風になってオススメです。

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CB2は、全米で400店舗以上を構える総合インテリアショップ「Crate & Barrel(クレイト&バレル)」の妹的存在のブランドで、モダンでエッジの効いた、クリエイティブな家具やインテリア雑貨、テキスタイルなどが豊富に取り揃えられています。

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★発送について
こちらの商品は、米国ヤマトエクスプレス便もしくは佐川グローバルエクスプレス便にてお送りします。
地域にもよりますが出荷後は追跡が可能で、平均で4−6日でお手元に到着します。
万が一の破損の際には全額補償がございます。



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★関税について
関税はこちらで支払い済みですのでお受け取り時にはご請求はございませんのでご安心ください。
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お取引について
ご注文の際は商品説明、お取引に関してなどの記載事項のほうもご一読いただけますようお願いいたします。
その他ご不明な点などがございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ♡
ご検討いただきましたら大変嬉しく思います、よろしくお願いいたします。

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デスク・テーブル
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鏡 ミラー
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ウォールアート
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収納関連
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布団カバー
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カーテン・仕切り
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バスグッズ
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照明
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インテリア雑貨
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バックオーダーになっていて買い付け先から発送にお時間がかかる場合もございますのでお問い合わせください。

<カラー>
Black


<サイズ (約)>
直径27.94cmx30.48cm
インチをcmに変換しておりますので多少の誤差はご了承ください。


<素材/仕様>
デザイン:ニコラス・オベイド
無垢の鉄製ベース、マットブラック仕上げ
ホワイトリネンシェード
インラインスイッチ付きブラックコード
60W白熱電球1個(別売)または9W LED Type A電球1個(別売)に対応
柔らかい乾いた布でホコリを取り、研磨剤の入ったクリーナーは使用しないでください

プラグは日本と同じです。

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<きちたび>フィリピンの旅1986〜マラカニアン宮殿になだれ込む群衆!私はフィリピン革命を目撃した

🇵🇭フィリピン/マニラ&ダバオ 

。フィリピンで大統領選挙が行われました。

その年の1月に報道カメラマンとしてバンコク支局に赴任したばかりの私は、日本から到着した妻と幼い息子2人を迎えてすぐにフィリピンへ取材に出たのです。

ここからのフィリピン革命まで、予想もしなかった長い激動の旅の始まりでした。

マルコス vs アキノ

ミンダナオ島ダバオ市で開かれたマルコス大統領の大規模集会を取材しました。

1965年の就任以来20年以上政権を握っていたフェルディナンド・マルコス大統領は、国際的には「独裁者」のイメージが強いですが、国内では地方の開発を推し進めたため、地方に住む貧しい人たちには高い人気を誇っていました。

この選挙でフィリピンの人たちは、自分がどの候補を応援しているのか、指のサインで示しました。

マルコス支持派は、Vサインを使いました。

対立候補のコラソン・アキノ女史、通称「コリー」を支持するグループは、親指と人差し指を立てるL字サインで対抗します。

Embed from Getty Images

当時カメラマンだった私が書いたメモには、この集会の様子が次のように残されています。

1月29日水曜 ダバオは雨

バスで会場へ、市街地へ入るまでの農村部ではマルコスのポスターが守り札のように家々に貼られ、やはり地方はマルコスかなと思わせた。しかしバスが市街地に入るにつれ、コリー陣営のポスターが目立つようになり、我々が報道陣だと知った人々が、「ラバン」を示す「L」の字のフィンガーサインで、コリー支持を我々に示した。中には人垣の後ろでこっそりLの字を出す人もいる。ポスターのマルコスの顔に大きなバツ印が描かれていたのも印象的だった。

11時、大変な人混みをかき分けて、バスは会場となる競技場に到着。小雨が降り続いている。バスを降り、会場の中に入る時は大騒ぎだった。ものすごい群衆。下はグチャグチャ、水たまりの中を足を濡らして歩いていくと、外国プレスはここじゃない、あっち行けと言う。それでまた水たまりをジャボジャボ歩いて別の櫓に行くとすでに野次馬に占拠されている。現地の助手がよじ登って場所をとってくれた。さすがだ。しかし、狭くて思うようにカメラが振れない。マルコスが来るまでステージでは芸能ショーが続いている。コメディアンの話に会場は沸いて、娯楽のない地方ではこうした芸能ショーが多くの人を会場に向かわせる。かわいい5人組の女の子のダンス。歌の数々。しかしその合間に行われるマルコス支持のアピールにはあまり反応がない。ステージ前の少人数が歓声を上げるのみだ。

ついにマルコス登場。元気そうだ。その頃には会場には3〜4万人の人が集まっている。しかし、盛り上がったのはそこまで。マルコスが演説を始めると、少しずつ人が帰り始め、次第に出口に向かう人の流れができていく。マルコス・トレンチーノと書かれた旗が人々に踏みつけられている。マルコスは演説中に、その地域の人たちが関心がある法案にその場でサインするという現職ならではの演出をするが、やはり会場の反応は鈍い。マルコスの演説が終わる頃には2〜3割、聴衆の数が減っていた。

取材メモより

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アキノ女史は、1983年に亡命先から帰国しマニラ空港で暗殺されたベニグノ・アキノ上院議長の奥さんでした。

アキノ氏の支持層は都市部の比較的裕福な人たちでした。本来であれば地方の貧困層の方が数で圧倒的に勝るため、マルコス大統領は勝利を確信していたはずです。しかし、思いもかけぬ未亡人の立候補で選挙戦は異常な盛り上がりを見せました。

2月4日にマニラで行われたコリー派の大規模集会の熱狂も取材メモに残されています。

マカティからマニラホテルに向かう途中、コリー支持者のものすごい数の車に出くわす。立体交差する道の上もコリー支持の車が次々に通っていく。すべて、リサールパークで夕方から開かれる大集会に向かう車だ。ロハスに入ると、ここもCORRYのステッカーを貼りL字サインを示し、黄色いリボンをたなびかせた車でぎっしり。運転手のトニーが裏道に入ると、そこも大渋滞で仕方なく車を捨て歩いてホテルに向かう。もう街中、コリー一色だ。紙吹雪が舞い、沿道の人々はL字サインでなだれ込んでくる車や人の波を迎える。鉢巻き、Tシャツ、ステッカー、プラカード。とにかくやたらに黄色が氾濫している。まるで、イエローフェスティバルとでも名付けたいような賑やかさで、陽気な興奮がそこら中を支配している。会場周辺の道路はすでに、車道としての機能を失っている。同僚と分かれ、一人でカメラとVTRを担ぎ、人混みをかき分け、トラックの下をくぐりながら、演壇の下までたどり着くとすでに仲間のカメラがいたので、俯瞰を撮るべく再び人混みをかき分けマニラホテルに。ところがマニラホテルの屋上は宿泊客しか入れないという。そうこうしているうちに、明日用にマルコス派のスポークスマンのインタビューを撮ることになり、歩いてKBL本部へ。KBL本部の窓から会場へ向かうコリー派の大群衆を見るというのも何か変なもんだ。下手に窓際などに立っていたら、石でも投げられかねない。しかし、これだけの群衆の割には殺気だった感じがない。1台マルコスのステッカーを貼った車が走り抜けていったが、一斉にブーイングが起こっただけで、危害を加えるようなことはなかった。この雰囲気が我々を少し気楽にしていた。

取材メモより

黄色をシンボルカラーとしたアキノ陣営は、マニラを中心に国民の人気を集め、「ピープルパワー」という言葉が大流行しました。

欧米のメディアも、独裁者マルコスに立ち向かう民主派の未亡人アキノという善悪の構図でこの大統領選を伝えました。イメルダ夫人の半端ない無駄遣いぶりもメディアで大々的に報道され、国際世論は反マルコスに一気に傾きます。

TBSが撮影したアキノ暗殺の現場映像は世界的なスクープとなり、マルコス政権の悪道ぶりを示す証拠として国際世論に大きな影響を及ぼしていました。

不正選挙

そして投票日の2月7日。

マルコス派による不正が予想された選挙を監視するため、民間の選挙監視団体「自由選挙のための全国運動(NAMFREL)」が結成され、独自に集計作業を行いました。

投票が始まるとフィリピン各地から、投票所での妨害、投票箱の略奪など様々な妨害工作の報告が入ります。そして選挙結果にも、不正が行われました。

NAMFRELは「アキノ氏がほとんど80万票差で勝利した」との独自集計の結果を出しましたが、マルコス大統領の影響下にあった中央選挙管理委員会の公式記録は「マルコス氏が160万票の差で勝利した」と発表したのです。

この選挙結果は、コリー派だけでなく、カトリック教会やアメリカ政府からも強く非難されました。長年反共の砦としてマルコス政権を支持していたアメリカ政府が、メディアの報道と国内世論に押され、マルコス大統領を見限ったのが大きな転換点となりました。

しかし実際には、選挙後マニラにはとんでもないガセネタが飛び交い、私の取材メモにはそうしたガセネタに振り回された日々が記録されていましす。

2月9日(日)

8時、NAMFREL。相変わらず開票進まず。当初の予想ではすでに60〜70%になっていないといけないのに、まだ30%。

昼、一旦マニラホテルに戻りメシでも食いに出かけようとした時、マンダルヨンのムニシパルホールで銃撃戦という情報。現場に素っ飛んでいくがやはり平穏。特に動きはないということで帰りかけたところ、途中で車がつかえ、すぐ前のジープニーに乗っていた5人ほどの若者が降りて駆け出した。トニーが何かあった、すぐ行けというので行ってみると、何人かの人々が一つの路地を覗き込んでいる。よく見ると、路地の奥の方にライフルを持った男たちが数人うろついている。「グーンズ」と呼ばれるフィリピンやくざだ。しばらく彼らを追って路地を入り、遠目から去っていく彼らの後ろ姿を撮影。そこら辺にいた若者にインタビューする。彼の話だと、グーンズ同士の発砲事件があって1人の女性が撃たれたらしい。グーンズはマルコス派のKBLの指揮下にあるらしく、投票箱の強奪などはすべて彼らの仕事らしい。インタビューを始めてちょっとしてから、ただならぬ気配に気づいて横を見ると、去ったはずのグーンズが路地いっぱいになってすぐ近くまで来ている。手にライフルを下げて、ガニ股で先頭を歩いてくるのは凄みのあるおっさんだった。ビビる気持ちを振り払い、彼らの方にカメラを向ける。路地の壁際に張り付いてカメラを回す我々の脇を悠然とグーンズが通り過ぎていく。おっさんの後ろには一群の男たちが従い、その中には制服の警官も2〜3人含まれ、彼らは各々ライフルを持っていた。彼らが通り過ぎた後をついていく。同行していた記者が危ないから近づくなと声をかけてくれた。後でラッシュを見ると、グーンズの顔のアップがない。ビビっていたので頭が回らなかったのだ。

2月10日(月)

支局長から無線が入り、ニコルス空軍基地に多数の戦車が入ったというAFPの情報があるので確かめにいって欲しいという。フィリピン空軍最大?のニコルス基地はマニラ国内空港の東側に隣接。正門から中に入ろうとするが、トニーが戦車の話をしたので、追い返される。それでは裏口からということで、ゴルフ練習場の入り口でプレスだと言ってプレスカードを見せると簡単に中にはいれてしまった。中に入って驚いたこと、それはあまりに基地らしくないということだ。ここは兵士とその家族合わせて3万人が暮らしている。そのレジデンシャルエリアはまさにどこにでもある普通のフィリピンの街並みだった。雑貨屋があり、美容院があり、ジープニーが走り、小さな家がごちゃごちゃと寄り集まっている。時折見かける軍服姿の兵士がいなければ、誰もここが基地だなどとは思わないだろう。その兵士たちにしたところで、軍服の前をはだけてシャツが出ていたり、オンボロ自転車をキコキコ漕いでいたり、まったくのどかなものだ。クーデターなどといった緊迫した話は微塵もない。しかし、とにかく滑走路の近くに行こうと、星を見上げて方向を決めながら20分ほどうろうろする。そしてヘッドクォーターエリアに入り、DO NOT ENTER と書かれたゲートに着いた。あたりは至って平穏ただ走っているだけなら、誰にも咎められない。運転手のトニーは、怖くて早く帰りたそう。支局長と無線連絡。ゲートだけ撮って帰ってこいとのこと。仕方なく車のライトでゲートを照らし撮影しようとした時、2人の兵士がゲートの方から走ってくる。トニーが慌ててバックしようとする。逃げるとヤバいので、止めさせる。兵士にプレスカードを見せるが、事務所に来いというので車でついていく。タイ人の助手が戦車の話はしない方がいいと言うので、同行した若い記者は暇なので基地の様子を見に来たなどといかにも嘘っぽい弁明を始めた。そこは Air Force Police のオフィスだった。部屋に入るとまず名前と身分を聞かれ、何をしに来たのかと問われる。記者がまた同じような嘘の説明をするが、さすがに相手も納得せず、丁寧な口調ながらしつこく問いただしてくる。次々にいろんな人物が現れ、同じ質問を繰り返す。トニーが呼ばれ質問を受ける。トニーは撮影はしていないと言ってくれたらしい。次に撮影機材を調べられる。隠していたタイ人の助手のパスポートが見つかる。この助手は取り上げられるとヤバいからパスポートは持っていないことにしろと我々に忠告してくれていたが、ひょんなことから自分のパスポートが見つかり、一瞬顔が青ざめる。彼は何度もフィリピンに来ているので、今度は助手に質問が集中することになる。どうもスパイの疑いがかけられているようだ。雲行きが怪しくなり大きな疑いがかけられているようなので、、記者に言って本当のことを話すように促す。すると、相手は大声で笑い、「それで何か見つけたか」と聞くので、「見つからなかった」と答えると、当然だと言うような顔をした。それを境に雰囲気は和やかになる。ところが別の問題が発生。トニーの免許がすでに4年も前に切れていることが判ったのだ。トニーはいつになく神妙な顔にあったが、我々は無事に解放された。

取材メモより

エンリケ&ラモス決起

TEKTON 1/4 Inch Drive Universal Joint Socket Set, 7-Piece (1/4-9/16 in.) | 並行輸入品

そして。

エンリケ国防相やラモス参謀長らが反マルコスを掲げて決起したのを契機に、フィリピン情勢は一気に革命へと突き進みました。

幼子を抱えた妻を一人残していた私は、一旦バンコクに戻っていたのですが直ちにマニラに舞い戻ります。

この時の様子も取材メモに残っていました。

2月23日(日)

昨夜9時半ごろ、支局長がひょっこりやってきた。できるだけ早くフィリピンに行くことになったと告げられる。我が家は初めてのパタヤ行きを計画していたが、支局長は「たぶん今日は無理だと思う」などと言って、こちらの想像より遥かに緊急であることを言外に表す表現を使った。一瞬愕然とする。妻のショックは私の比ではなかったようだ。とにかく支局に行き、引っ越しの段ボールを片っ端から開いて必要な物を引きずり出し、荷物を用意。準備を終えて家に帰ると妻がブスッとして寝ている。慰めると急に泣き出した。無理もない。出張続きでろくに帰ってこない亭主を異国で待つのは確かに心細いだろう。しかも2人の幼子を抱えているのだ。今まで張り詰めていた糸が切れたようだ。

取材メモより

舞い戻ったマニラの街は、数日前とは打って変わって、いつ軍同士の衝突が起きてもおかしくない緊迫した空気に包まれていました。

戦車の侵攻を阻止するため、反乱軍の基地に通じるマニラ市内の大通りにはバリケードが築かれ、多くの人が道路に座り込み人間の盾も作られました。私たちはホテルで休む時間もなく、刻々と入ってくる情報を追いかけてマニラ市内を走り回りました。

ラモス将軍とエンリケ国防省が立てこもっているカンポクラメ、キャンプアギナルドを見に行く途中、オルティガスの広場に集まった兵員輸送車や海兵隊の兵士たちを市民が取り囲んでいるような現場に遭遇。彼らは政府軍側でマカティのフォートボニファシオという基地から反乱軍のカンポクラメに向かう途中、市民のバリケードに邪魔され仕方なくこの広場に入ったもの。エズサハイウェーとオルティガスアベニューの交差点は、バスや車や多数の群衆で完全にブロックされている。市民たちは「We don’t want you to die」などと書いたプラカードを持ち、政府軍兵士に花をプレゼントしたり、牧師が説得したり、兵士を味方に引き入れる戦術のようだ。

22時、東京からのスタッフと合流して食事しながら打ち合わせ。今日、ラジオベリタスが6人の武装兵士に襲われ、送出機能を完全に破壊されるという事件があり、ベリタスは非常用の送出機でマニラ市内だけのローカル放送を続けていたが、それもダウン気味で聞き取りにくい。そのためラジオベリタスの日本人スタッフが私たちの取材を手伝ってくれることに。食後、市内をパトロール。オルティガスには10台ほどのトラックとともに1個大隊の海兵隊員が残っており、市民が監視に当たっている。歩いてキャンプアギナルド、カンポクラメの方へ行く。交通は完全に遮断され、歩行者天国といった和やかな雰囲気。それでも土嚢が積まれていたり、道路に座り込んでいる人がいるなど、2つの基地を政府軍の攻撃から守ろうという市民の気持ちが伝わってくる。中央のグリーンベルトでは大勢の人が仮眠をとったり食事をしたり、長期戦の構えだ。基地に近づくにつれ人の数が増し、カンポクラメの前はすごい人だ。数万人はいるだろう。すでにこの一帯は解放区と化し、兵士と市民の交歓風景が見られる。キャンプの看板がドラ代わりにジャンジャンと鳴らされる。突然、基地の中がざわついてきたと思ったら、ラモスが数人の兵士に囲まれてキャンプの外に出てきたのだ。彼は集まった群衆のラモスコールに両手をあげて応える。彼が群衆の中を一巡し、カンポクラメの正門に消えるまで、周囲は大変な騒ぎとなった。ラモスの得意そうな表情からは、彼の野心のようなものが感じられた。彼は今回の決断で明らかに人気者になったのだ。

取材メモより

革命の一日

コラソン・アキノ氏が大統領就任式を強行。

同じ日、マルコス氏も大統領宮殿であるマラカニアン宮殿のバルコニーに立ち、イメルダ夫人と共に大統領就任式に臨みました。

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事態が大きく動いたのは、その日の夜のことでした。

私は、マラカニアン宮殿近くにいました。宮殿はすでに多くの市民に包囲され、その数はどんどん増えていきました。

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日が暮れて、宮殿の周りでは頻繁に銃声が響きます。誰が撃っているのか、どこで撃っているのかもわからないまま、銃声がなるたびに、市民たちが一斉に逃げ惑うのです。

私は物陰に隠れるようにしながら、こうした宮殿周辺の様子を撮影しました。

夜の11時ごろだったでしょうか。

マルコス大統領が米軍のヘリコプターで宮殿を脱出したという情報が伝わります。

すると、多くの市民たちが一斉に高い塀を乗り越え、マラカニアン宮殿になだれ込んだのです。

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《CB2》ORNADO BLACK FLOOR LAMP フロアランプ/間接照明

私も後を追って、塀をよじ登りました。

それまでに撮影したテープをタイ人の助手に渡し、日本に伝送するためホテルに設置された臨時支局に向かわせます。私はカメラに加えて、助手が持っていたVTRデッキと照明機材も一人で持って塀をよじ登ります。

この時私はまだ27歳、若く元気いっぱいでした。

塀の上でたくさんの機材を抱え、どうやって降りようかと迷っている私を見て、市民たちが手を貸してくれました。機材を受け取ってもらい、高い塀から飛び降ります。

一瞬、足がつりそうになったことを今でも鮮明に覚えています。

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宮殿内は、すでにものすごい人の数で、身動きが取れないほどの状態でした。私は、カメラを頭上に抱え上げながら人混みをかき分けて進みます。

宮殿内の建物の窓から書類が大量に降ってきます。どこにあったものでしょう。マルコス大統領の肖像画が人々に踏みつけられ、燃やされています。

これぞまさに「革命」。

政権が民衆の力によって崩壊した瞬間でした。

そうした光景を一通りカメラに収めた後、素材を送るために現場を離れることにしました。

再びカメラを両手で掲げて、人ごみをかき分けます。宮殿の周辺も人で埋め尽くされていました。どうやって臨時支局までたどり着いたのかよく覚えていません。

通りがかりのバイクを止めて乗せてもらったのか、タクシーをうまく捕まえることができたのか?

しかし、その混乱の中で唯一はっきり記憶しているのは、財布を何者かにすられたことです。中には、バンコクから持ってきた手付かずの30万円が入っていました。

おかげで後日、私は会社宛の始末書を書く羽目になりました。

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ルネタ・パークでの「選挙後のコリーの大集会」とメモ書きされた写真が、私のアルバムに残っています。ルネタ・パークはマニラホテルの前に広がる公園で、今ではリサール公園と呼ばれているそうです。

私の記憶では、革命前の100万人集会を取材した際のものなのですが、3月2日という日付が正しければ、革命後の写真ということになります。革命後の祝賀集会もあったかもしれません。今となっては、記憶が曖昧です。

いずれにせよ、私が目にした最大規模の集会だったことだけは確かです。

ほぼ1ヶ月に渡ったフィリピン取材。まだ若く、経験も浅かったので連日ただひたすらにマニラ市内を駆け回っていました。しかし、写真はこのくらいしか残っていません。デジカメがなかったあの頃は、気軽に写真を撮る時代ではなかったとはいえ、仕事でビデオカメラを撮影していると合間に記念写真を撮るという気分にもならなかったのでしょう。

今となっては、忘れてしまった光景の方がはるかに多く、とても残念に思います。

それでも、あのマラカニアンで見た「革命」の情景は、今でも私の脳裏に鮮やかに刻まれています。

<きちたび>旅のアルバムから〜フィリピンの島で同行取材した革命を夢見る共産主義ゲリラたち